地方で一人暮らしをする母親。生活支援が必要になり、子どもたちが老人ホームをすすめますが、エリアをどこにするかで揉めてしまいます。最終的には子どもたちに近いホームを選んだのですが……。
足腰が弱り、家の中も畑も荒れていた実家
椎名多江さん(88歳/仮名)は都会から離れた地方で10年以上一人暮らしを続けています。数年前までは地域の子どもたちを見守るボランティアをするなど精力的に活動していましたが、ここ数年は足腰が衰えて家にこもりがちです。家の中も、庭にある畑も手入れができず荒れてきています。
お盆に里帰りした二人の娘たちは、きれい好きなはずの母が、家の中を散らかしたままにしているのを見て驚きました。「そろそろ一人暮らしは厳しそう」「どうしたらいいかな」と、椎名さんのいないところで、互いの夫を交えて話し合いをしました。
長女は夫が転勤族なので同居は難しく口ごもっていると、次女の夫が「僕たちが引き取ろう。うちの親は兄貴がみてくれているから」と口火を切りました。次女も「私もそれが良いと思っていた」と同意し、椎名さんに提案することで話がまとまりました。
同居は拒否。確かに母娘の同居にも問題はありそうで
同居してほしいと次女が伝えると、椎名さんは一瞬嬉しそうに笑顔を見せましたが、しばらく黙り込んだあと「気持ちはありがたいけど、気を遣わせちゃうから……」と小さな声を漏らしました。次女の夫が「僕は仕事でほとんど家にいませんし、上の子が一人暮らしを始めて部屋も空いています。気兼ねしないでくださいね」と返しましたが、今度は「知らない土地で暮らすのは怖いの。あなたたちの家は都会だし、知り合いもいないしね」と、下を向いたまま話します。
同居をやんわり断る雰囲気を察し、次女が「それなら、私たちの家の近くにある老人ホームに入居するのはどう?」と新たな提案をしました。次女の家から車で10分ほどの場所に高級老人ホームが建設されたことを思い出してのことでした。「あそこなら、敷地も広くてリラックスできそうだし、お友達もできるんじゃないかしら。一度見学に行ってみましょうよ!」
次女のアイデアに母親も「そうねー、そのほうがいいかもいしれない」と首を縦に振りました。善は急げということで、次女夫婦は自宅に帰る車に母親を乗せ、施設の見学に連れていくことになりました。
このとき、見学の日が来るまでの数日、母親は次女宅に泊まったのですが、次女は心の中で「同居はやはり無理」と思ったそうです。長年、別々に暮らし、里帰りも年に2回程度だったために、母と娘では家事の仕方がまったく異なっていました。夫にもキッチンに入ってほしくないほど家事は自分でやりたいタイプの次女は、母親がいろいろと手伝おうとしてくれることにストレスを感じたのです。母親には申し訳ないと思いながらも「老人ホームへの入居を何としても決めなくては」と決意していました。
設備も居室も十分すぎる老人ホームとの出会い
お目当ての老人ホームは「随時見学受付中」ということで、すぐに見学を受け入れてくれました。当日は次女の夫と、次女の高校生の娘、つまり孫も同行し賑やかな雰囲気になりました。駐車場につくと孫が「きれいな建物! リゾートホテルみたい」と歓声をあげました。
エントランスを入ると、美しい花があちこちに飾られ、高級そうなソファが置かれています。孫はその一つに座り「気持ちいい!」とまた歓声です。孫の様子に椎名さんも目を細めています。館内には温泉、フィットネスジム、エステ、カラオケ、陶芸室、楽器室、遊技場などあらゆる趣味に対応できる施設が揃っています。広い敷地には入居者とスタッフで世話をしている畑や花壇があり、土いじりが好きな椎名さんには嬉しい限りです。
個室は狭すぎず広すぎず、一人暮らしには十分なスペースが確保されていますし、自室で料理ができるキッチンも備え付けられています。漬物や佃煮など、田舎の味もここで再現できそうです。
スタッフの質も食事の相性も最高。ここなら安心して生活できる
参加した試食会での食事は椎名さんの舌に合っていました。その日の気分でメニューを選べるのも気に入りました。また、スタッフが馴れ馴れしすぎず、それでいて気の利くサポートをしてくれるのも好感が持てました。
ここならリラックスして生活できそうだと椎名さんは判断し、次女に頼んで入居の準備を勧めてもらいました。田舎の自宅は空き家になると傷んでしまうので、売却の準備も同時に進行することに。緊張しながらも数か月後には入居が叶いました。
入居から1ヵ月、突然の体調不良に。原因は方言
入居すると新鮮な毎日でした。最初のころはスタッフがしょっちゅう声をかけてくれて、わからないことにはすぐ対応をしてくれました。毎日のように温泉で体を癒し、陶芸教室に参加するのも楽しみになりました。
ところが入居して1ヵ月ほど経つと、椎名さんから笑顔が少しずつ消えていきました。生活に慣れてきたと判断したスタッフが椎名さんに同行することが減ったせいか、気づくといつも一人になっていたのです。
ほかの入居者たちが楽しそうに会話をしている輪に入っていけないのです。その一番の理由は方言でした。全国的にも強い方言で有名な地方で生活してきた椎名さんは、スタッフとの会話でも何を言っているか理解してもらえない経験を何度かしていたので、入居者と話すのが怖くなってしまったのです。たまに話しかけてくれる入居者がいても、作り笑いをするだけで会話に至りません。
そのような日々が続くと、椎名さんは微熱を出したり、胃腸障害を起こしたりと明らかに体調の崩れを見せるようになります。施設から連絡を受けた次女が、椎名さんに話を聞きにやってきました。静かに涙を流しながら「一人はつらい。家に帰りたい……」そうつぶやく椎名さんに、次女は都会暮らしが母に与えたプレッシャーに気づいたのです。
プロの手を借りて、親子とも満足できる住まいを探す日々
自宅は売却先が決まってしまい戻ることができません。今、子どもたちは椎名さんが慣れ親しんだ地元に満足できるホームがないか、老人ホーム選びのプロに相談しています。子どものそばなら安心してもらえると思っても、やはり生活の主体は老人ホーム内での暮らしです。親子ともに安心できる住まいが決まることを願うばかりです。