夫を亡くしてから5年ほど一人暮らしを続けてきた81歳の古川正子さん(仮名)。老人ホームへの入居を考え積極的に見学会に参加しているさなか不測の事態が発生。老人ホームへの入居を一度、中断することになったといいます。なぜなのでしょうか?
一人娘には老後を任せられない。老人ホームへの入居を検討し始めた。
一人暮らしに不便を感じていなかった古川さんですが、この先のことを考えると少し不安がありました。一人娘は旦那さんの実家に同居しており、古川さん自身に何かあっても頼れません。もう少し体がつらくなったら老人ホームに入居するのも悪くない、そんなふうに考え始め、遊びに来た娘さんに相談をしてみました。
思いもよらない母の言葉に驚いた様子の娘さんでしたが、持参していたタブレットを開き、すぐに調べてくれました。最近の老人ホームはいろいろなタイプがあり、料金も設備もピンキリ。明るく楽しそうな雰囲気で、古川さんの思っていた少し暗くて寂しいイメージの昔の老人ホームとは随分変わっているようです。
「老人ホームの選び方」を検索した娘さんは「とにかく見学が大事みたい。百聞は一見に如かずとも言うし、私も同行するから見学に行きましょう」と言ってくれました。こんなとき、車で20分くらいのところに娘が住んでいるのは心強いと古川さんは思いました。
第一条件は「食事の美味しい」老人ホーム
娘さんから「お母さん、譲れない条件ってある?」と聞かれた古川さんは、第一に食事の美味しさをあげました。数年前に高齢者住宅に入居した友人の話では、朝はトーストと卵料理、昼食と夕食は仕出し弁当が提供されていて、味気ない食生活を送っていると聞いてきました。
これまで60年近く、3食を手作りしてきた古川さん。朝食には炊き立てのご飯とみそ汁が絶対でした。「お母さんの料理、美味しいから、味には厳しいわよね。それなら食事が自慢のホームから見学に行ってみましょう」と、娘さんは3件の老人ホームをピックアップしてくれました。
100点満点の終の棲家を見つけたい
食事をウリにしている3つの老人ホームは、どれも十分満足できる場所でした。食事が美味しいのはもちろん、居室の内装も素敵でしたし、館内にはさまざまな共有設備が整っていました。
古川さんが長年趣味としている卓球ルームがあるところはとても魅力的でした。サークルに入れば仲間もできそうです。ただ、そのホームには温泉がありませんでした。反対に天然の温泉をひいているホームには卓球ルームはありません。ロケーションの素敵なホームは、立地がやや田舎で、ショッピングに出歩くのが難しそうでした。あちらを立てればこちらが立たず。満点というわけにはいきません。
「まだ、元気なんだし、もう少し探してみましょう」娘の優しい言葉もあり、古川さんはしばらく老人ホーム見学を続けながら、自分にぴったりの終の棲家を見つけることに決めました。
冷蔵庫に10本以上の牛乳が入っていた!
最初の見学から1年半が過ぎた頃です。娘さんは古川さんのいくつかの異変に気付きました。電話をすると、同じ話を何度もするようになりました。家に行ってみると、冷蔵庫の中に牛乳が10本以上も入っています。どうしたのか尋ねても「すぐになくなっちゃうから」と意味のわからない答えが返ってきます。
古川さんの作ってくれる料理の味もおかしくなってきました。出汁をきかせた和食が得意だったはずなのに、醬油をかけただけのようなしょっぱい料理が出てきました。それを古川さんは「美味しくできたわ」とニコニコしながら食べているのです。このとき、娘さんは古川さんを病院に連れていく決意をしたそうです。
病院での診断はアルツハイマー型の認知症でした。初期とはいえ、進行が早いようで、記憶力や集中力の欠如は明らか。服薬で治療はするものの、このまま一人暮らしを続けるのは危険というのが医師の判断でした。
口座凍結⁉ いったい何が起きているの?
悠長に老人ホーム見学をしている場合ではなかったと娘さんは悟りました。すぐにでも今の古川さんの状態でも入居が許され、かつ、希望にできるだけ添ったところに決めなければと焦ります。ホームに連絡をとりつつ、同時に手続きに必要な金銭の準備も始めなければなりません。
古川さんの希望していたホームは入居金が3千万円を超えます。メインバンクの預金を引き出すために銀行にも連絡をしました。ところが、ここで思いもかけない返事が銀行から帰ってきたのです。
資金は凍結。引き出しはできないというのです。
「娘に資産を狙われている」銀行の窓口で叫んだ
銀行の担当者は電話では話ができないと言います。娘さんが銀行にかけつけると、数日前に古川さん自身が印鑑と通帳を持って窓口に来て「すべての預金を引き出したい」と言ったのだそうです。理由を聞くと「資産を娘に狙われている」と、泣き叫んだそうです。
不審に思った銀行側が、古川さんに生年月日や住所などの個人情報を尋ねると、答えが曖昧で「認知症の疑いあり」と判断されてしまったようなのです。何度も銀行と話し合いを持ちましたが、娘さんが資産を奪おうとした事実を否定できないとされ、口座凍結を解いてはもらえません。こうなると本人も家族も預金を引き出すことはできなくなります。
入院を視野に入れ、成年後見人の決定を待つ不安な日々
一刻も早く成年後見人を立てる必要がありましたが、家庭裁判所への申し出など手続きは簡易ではありません。娘さんの家では、ちょうどその頃、ご主人が体調を崩して自宅療養中。しょっちゅう家を空けるわけに行かず、スムーズには出続きが進みません。
このままいくと成年後見人の決定までに3ヵ月はかかりそうです。そこから預金の引き出し、老人ホームの契約、月々の経費ねん出のための自宅売却など、すべて成年後見人に頼らなければ事は進みません。
その間、古川さんを一人にしておくことができず、精神科の医師と相談しながら、今は入院も視野に入れ、手続きを進めているところです。 「じっくり老人ホームを選びたい」という気持ちは理解できますが、いつ、何が起こるかわからない高齢者。入居のタイムリミットを決めておくようにしたいものです。