昭和の男を代表するような亭主関白だった78歳の植木進さん(仮名)。身の回りのことはすべて妻任せ、自分の介護も当然妻がするものと決めつけていたのですが、ある日、妻が認知症を発症し老人ホームに入居。残された植木さんも長女の勧めで老人ホームに入居することになりました。しかししばらく経ってから「退去したい」と訴えるようになったそうです。植木さんの身に何が起こったのでしょうか?
着替えも爪切りも妻に頼っていた夫
料理や洗濯はおろか、着替えの準備も爪切りも妻に任せてきた植木さん。10歳年下の奥様との出会いはお見合いでした。亭主関白な植木さんに逆らうことなく、柔和な笑顔で50年間、世話を焼き続けた奥様でしたが、1年ほど前から家事がおろそかになってきました。植木さんが注意しても気にする様子はなく、ボーっとしている時間が増えていきました。
近所に住む長女は「お母さん認知症かもしれない」と言いますが、植木さんには妻がさぼっているようにしか見えませんでした。何しろ、自分は妻がいなければ生活できません。自分の介護も10歳若い妻がしてくれるものと思い込んでいたほどです。
認知症の妻に「ちゃんとしろ!」と怒鳴りつけてしまう日々
長女が精神科に連れていくと、その日のうちに「アルツハイマー型認知症」と診断が出ました。若年性ではありませんが、68歳とまだ若いので進行が早い可能性があると医師から言われ長女はショックを受けています。
植木さんは理解が追いつきません。あんなにしっかりしていた妻だったのに、ふつうの会話が成立しなくなっています。すでに知的な能力は小学生の低学年くらいと長女から説明されましたが、つい「おい、ちゃんとしろ!」と怒鳴りつけてしまいます。
徘徊が始まり、妻は特養へ。後悔で涙がこぼれた
しばらくは長女が日中は家事をしに来てくれていましたが、昼夜逆転や夜中の徘徊が始まり、面倒が見切れなくなり、長女の判断で奥様は特別養護老人ホームへの入所が決まりました。重度の認知症患者も受け入れてくれるところにたまたま空きがあったそうです。
自宅に一人になった植木さん。何がどこにあるかもわからず、長女の手を借りなければ生活が成り立ちません。夕方になって長女が帰宅すると虚しさが広がります。今になって「何もしてやれなかった」「頼ってばかりだった」と後悔が押し寄せ涙がこぼれました。
一度も想像していなかった老人ホームへの入居に愕然
奥様の入所から数週間が経ち、少しずつ自分で生活することを覚えようと努力していた矢先、長女の夫に転勤の辞令が出ました。かなりの遠方ですが、家族が離れて暮らすのは嫌だという夫の方針で、長女も一緒に引っ越すことが決まりました。
問題となるのは植木さんです。頑固で昔気質の植木さんが、長女の夫と相性が悪いのは植木さん自身も理解していました。長女から「お父さんも老人ホームに入ってほしい」と嘆願され「そうするしかないな」と答えざるを得なかったのです。これまで一度たりとも、自分が老人ホームに入居するなど想像したことのなかったというのに。
見学もせず、近所の老人ホームに決めた
長女の引っ越しまでは1ヵ月を切っています。長女が自宅からいちばん近い老人ホームに問い合わせしてみたところ、偶然にも一室空きがありました。長女に見学に行くかと聞かれましたが、「そこでいいよ」と即答してしまった植木さん。何しろ、老人ホームがどういうところかを知らなかったのです。
長女の引っ越しの数日前に、植木さんは老人ホームに転居しました。8畳ほどの部屋にテレビと簡易冷蔵庫、テーブルと椅子が設置されています。内装はシックなベージュでまとめられていますが、植木さんには病室のように感じられました。「俺はこの部屋に閉じ込められて残りの人生を過ごさなければならない」と、悲観する日々が始まったのです。
「老人ホームはどこも同じ!」ではないことを知っておく
公認会計士をしていた植木さんはお金には困っていませんでした。資産もそれなりにあり、冷静に時間をかけて選べば住み心地の良い老人ホームを見つけることができたはずです。しかし、事前知識のまったくない植木さんは「老人ホームはどこも同じ」という感覚しか持ち合わせていませんでした。
しばらくして老人ホームから植木さんに認知症の症状が現れていると、長女に連絡が入りました。時間をやりくりして長女が面会に訪れると、植木さんは「ここから出たい」と訴えたそうです。現在、認知症の症状がひどくなる前に植木さんの望む暮らしができるホームに転居できないか、老人ホーム選びのプロに相談しているところです。
どんなに急な事情であっても、見学せずに老人ホームを決めるのはリスクが高すぎます。そして何より、後期高齢者になったら「いつ何が起きるかわからない」と自覚し、老人ホームの予備知識はつけておくのが正解です。